


「熊本城」は、天守閣にたどり着くまでが遠い。長塀に始まり、いくつもの石垣に櫓(やぐら)もあって、攻め入ろうにも「武者返し」に跳ね返される。とにかく石垣だらけなのです。また、不測の事態が起きたときに食料に困らぬように銀杏の木が植えられたとか、畳に芋の茎を入れ込んだ“食べられる城”とか、さまざまな逸話も残っているミステリアスなお城。加藤清正公こと“せいしょこさん”が、なぜこんなにも警戒心むき出しの「熊本城」を築いたのかは分かっていません。何を守るためだったのか、心配性だったのか、見栄っ張りだったのか、「熊本城」の謎を紐解いていくと“せいしょこさん”がどんな人物であったか、というところに行き着くかもしれませんね。



(上) 古代中国の絶世の美女「王昭君(おうしょうくん)」が描かれている「昭君之間」。この部屋は豊臣秀吉の息子・秀頼を迎えるために作られたという説もある
(左) 「闇(くらが)り通路」は、「本丸御殿」とつながる隠し通路だったといわれている。かつては「天守閣」や「御殿」などすべてが一つの通路でつながっていたそう

「二様の石垣」は、加藤清正公が築いた石垣に、後に肥後を治めた細川忠利公が「本丸御殿」の増築の際に継ぎ足したもの。城好きにはたまらなく美しい曲線美